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おとなの能書き

第十二回 においの記憶

文:イッコー・オオタケ | 2008.06.19

 僕たちオジサン世代は昨今、自分の“におい”に敏感にならざるを得ない事態に追い込まれている。
 何しろオジサンたちはこの“におい”のお陰で今まで散々な目に遭っているのだ。
 一生懸命働いて汗をかいて家に帰れば、妻や娘から
「ヤダ~~お父さん、クサ~~イ」と罵られ、加齢臭の染み着いた下着や靴下は割り箸でつままれて他の家族の洗濯が終わったあとの洗濯機に放り込まれる。
 ハッキリ言うが、これはもう立派なオヤジ差別である。
 そんな仕打ちを受けながらもお父さんたちは文句も言わずに、密かにドラッグストアでデオドラントスプレーなんかを物色したりしているのだ。

 においはそもそも漢字にすると「匂い」と「臭い」、二つの表記がある。「Word」の辞書によれば、前者は「良いにおい」、後者は「悪いにおい」でこれは「臭い(くさい)」と字まで同じだ。
 さしずめ現代のお父さんたちのにおいを表わす文字は、「臭い」ということになるのだろう。
 なんともやるせない時代である。

 我々は一体いつからこうも過敏ににおいに反応するようになったのだろう。
 その根源にあるのはマスコミとケミカル企業の広告によって作られた清潔神話にあるのは疑いの余地はない。
 しかし元来、日本人はにおいにはもっと寛容だったはずだ。
 生臭いにおいのせいで魚を食べられないという女性も多い。
 長期間保存しておいたのならともかく、それは本来の鮮魚の香りというものだ。

(写真その1)

 これは僕ばかりではないかもしれないが、幼年期からにおいに関する記憶というのが僕には結構ある。
 においの記憶でまず思い出すのは家のにおいだ。
 僕が生まれた家にはまだ祖母や伯母がいて年寄りが多かった。だから家には老人のにおいが染み着いていた。
 たまに余所の家に行くと自分の家とはまったく違うにおいがしたものだ。
 家にはそれぞれ独特のにおいというものがある。その道の研究者によれば、あれはその家に着くカビのにおいなのだそうだ。だからどこの家にもその家独自のにおいが存在するわけだ。

(写真その2)

 あと僕が好きだったのはお陽様のにおい。
 そう、あの天気のいい日にたっぷりと陽に干したふかふかの蒲団に顔を押し付けて嗅いだ、香(かぐわ)しいあのにおいだ。
 またこれとは反対の、ちょうど今時分、梅雨時に降る雨のちょっと冷たくて埃りっぽいようなにおい。
 今でもたまに雨の日にこのにおいを感じると、懐かしさと共に子供の頃の雨空の下の思い出が鼻腔の奥のほうにぼんやりと漂ってくる。

 このほかにも早朝の澄んだ空気のにおいや、ひんやりした夜のにおい。
 季節独自のにおいもある。
 夏の学校のプールの消毒薬の混ざった水のにおいや炎天下の空の下の草蒸すにおい。
 真っ赤に染まった秋の夕焼け空に漂う町のにおい。
 冬の終わり間際に一瞬だけ感じる春の香り。
 においの記憶は強烈な郷愁や追憶を伴って僕の脳裏にクッキリと輪郭を描いて刻まれている。
 デ・ジャ・ビュ(既視感)という現象を感じたことがおありだろうか。
 あれとは少し違うかもしれないが、ふいにどこか遠い記憶にあるにおいに触れると、まるで時が止まったみたいにその記憶の在りかを探してしまうことがある。

 さて、毎日懸命に働いている世のお父さんたち……。
 いろいろな人生の経験と苦労の上に身についた自分のにおいではないか。もう少し自信を持ってもいいのではないだろうか。

 僕の父親は、僕が生まれた時点ですでに五十歳を超えていたので、僕が物心のついた頃にはかなりの加齢臭があった。
 父が仕事を終えて帰ってくると、いつも僕は背中に飛びついて鼻をこすりつけた。
 少し汗臭くて、時には酒臭いこともあったけれど僕は決してそのにおいが嫌ではなかった。
 今になって判る。それは大人の男の「匂い」だった。


プロフィール

イッコー・オオタケ
イッコー・オオタケ

1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。


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