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おとなの能書き

第十五回 ニッポン無責任時代

文:イッコー・オオタケ | 2008.09.12

(写真その1)

 いや~本当に驚いた。
 日本の総理大臣が何の前触れも無く、突然辞任してしまった。

 でもこれが初めての事じゃない。前任者に続いて二人目の職場放棄だ。とても先進国と言われる国の出来事とは思えない。この国の政治の稚拙さを露呈してしまった“事件”と言っていいと思う。
 次の首相が決まるまでに大きな災害やテロでも起きたら一体誰が国家としての責任を担うのだろう。
 無責任もここに極まれり、である。

 それにしても僕が気になるのは、いつからかこの国に蔓延する「無責任体質」である。
 僕の知る限りこの国は本来、責任の所在というものにかなり神経質だった筈だ。

 昭和のあの頃、学校でも会社でも集団社会の中での規律や行動には常に「責任」が付随していた。集団の長は責任者とされ、すわ何か問題が起きた時には「何もそこまで…」と思うような事にも長が責任を取った。
 僕が思うにそれはおそらくあの戦争の苦い体験が根底にあったのではないか、という気がする。
 国民にあれほどの辛酸を舐めさせておきながら軍部、指導者たちは最後まで戦争責任を認めようとはしなかった。
 このことへの強い悔恨とトラウマが戦後の社会体制、経済復興に活かされてきたのではないだろうか。
 日本が戦後、世界でも稀に見る復興と成長を遂げられたのはただ運に恵まれた訳ではない。国民一人ひとりが強い責任感を持って「仕事」を全うしたからだ。

 思えばあの頃は高校野球でも野球部と関係のない生徒の非行で甲子園への出場を断念した、などということもよくあり、その是非が話題になった。

 政治の場でもあの自民党でさえ、かつては選挙で負けた時には総裁自らが敗北を認めて責任を負って辞めたものである。
 個々の問題の是非は別として、起こした問題の責任を長が取るということは問題が深刻化するのを早い時期に食い止めて組織全体に非難が及ぶのを防ぐ意味も併せ持つ。言うなれば大人の智慧と言っていい。

 ところが昨今の日本社会の無責任ぶりはどうだろう。
 前回の参院選で自民党が惨敗して与野党が逆転してもとうとう総裁は責任を取らないまま居座りつづけ、その挙げ句に勝手な都合で職責を放り出した。
 そしてこの度の辞任劇では会見の場で惨めたらしく泣き事を並べ立てた挙句、記者に捨て台詞を吐いて消えるという有様だ。一番の被害者である国民には一言の詫びもない。
 こんな人物が我が国のトップだったのかと思うと情けなくて言葉もない。

 事は政治の場にとどまらない。
 相撲協会の理事長は親方自らが暴行致死事件を犯しても長としての責任はないと言って憚(はばか)らず、自分の弟子の麻薬事件にも頬かむりする始末だ。
 警察も役所も数々の不祥事を隠蔽して情報を上げず責任を回避しようとするのが日常化している。
 食品メーカーの製造日の偽装でも、うなぎや牛肉の産地偽装もしかり、老舗料亭の食材の使いまわし等、等。数え上げたらキリがない。

 どれもこれも問題を起こしたトップがきっちりと謝罪して責任を取った場面は皆無だった。
 なんとかしてウヤムヤに終わらせてこの場をやり過ごそうという下心が透けて見えた。
 あの人生幸路師匠じゃないが「責任者出て来~~い !」である。

 僕は数年前のイラクで起きたPKOのボランティアの拉致事件を忘れることができない。
 当時の小泉総理のいわゆる「自己責任」論というまやかしによって、被害者の彼らが日本中からバッシングされるという風潮が巻き起こった。
 僕はこれに強烈な違和感と気持ちの悪さを覚えた。
 何故、この国の人々はこんな理不尽に加担するのか、僕には理解できなかった。
 どんな状況下にあろうとも国民の生命と財産を護るという国家の大原則がないがしろにされた。
 今思えばあれこそ、この国が「無責任社会」になった決定的な事件なのではないだろうか。

 責任回避や放棄が社会で日常化するようになれば、日本はいずれ立ち行かなくなる。
 国家財政はこれまでの赤字国債の乱発で破綻しかけている。少子化で子供を産めと言いながら医師が不足して産院もない。やっと生まれた子供がかかる小児科の医師もなり手がいない。また老齢化の波が押し寄せる中、社会保障制度は大きく信頼を失っていて高齢者たちは不安でいっぱいだ。
 これらはすべて国の「無責任」によって国民がそのツケを払わされている訳だ。

 これがお隣の韓国や南米の国なら暴動が起こっていても不思議じゃない気がする。
 僕などがエラそうなことを言う立場ではないのは重々承知しているが、もうそろそろこの国の住人もちゃんと怒りを示すべきだ。
 それがこの国の大人の「責任」なのではないだろうか。


プロフィール

イッコー・オオタケ
イッコー・オオタケ

1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。


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