おとなの能書き
第十四回 拝啓、渥美 清様
文:イッコー・オオタケ | 2008.08.20
今年は貴兄の十三回忌の年なのですね。早いもので貴兄が鬼籍に入られてからもう十二回目の夏を迎えようとしています。
衛星放送やケーブルテレビといった多チャンネル時代を迎えた今では、貴兄の作品は毎日、日本中どこかのチャンネルで放映されています。
これほどの年月を経ても貴兄の人気が衰えることを知らないのは、やはり貴兄が老若男女すべての人々に愛され続け、日本人の誰もが知る貴兄の作品の数々が今もなお、いや、今だからこそ多くの現代人の心を捉えているからに外なりません。
今でこそ貴兄に対してこうして親愛と敬意の念を抱く私ですが、若い頃の自分は決して貴兄の映画が好きではありませんでした。
親友が映画館の支配人をしていたこともあって自分の周囲には映画について一家言ある連中が多く、いつも「影武者のクロサワはもうクロサワじゃない」だの「最近のATG作品はつまらない」だのと訳知り顔で語り合う若造の一人でした。
こんなイッパシの映画通気取りの若造には、およそ貴兄の映画には縁がなく、それまで一度として最後まで見通したことはありませんでした。
「あんなマンネリで中身の無い、年寄りと子どもの観る映画」くらいにしか思っていなかったのです。
中身の無いのは自分の方だったのに。
そんな私の映画観が大きく転換したのは二十五歳の冬、それはあたかも貴兄の映画のようにひとりで旅に出た旅先でした。
その年は広告の仕事を始めてなかなかまとまった休みをもらえず精神も肉体もクタクタになっていた時期でした。
やっと取れた正月休みに私はひとり長距離列車に飛び乗って一度行ってみたかった北陸の金沢を訪れました。
三日間ばかりの滞在でしたがひとしきり古都を巡り、旬の味覚を味わっての帰りしな、帰京の列車の時間までにぽっかり二時間ほど空いてしまい、どうしたものかと思案するうちに貴兄の映画の派手な看板が眼に飛び込んできたのです。
そう『男はつらいよ』シリーズの新作ロードショーでした。
当時の自分には考えられないことの筈なのに旅の情緒に誘われたのか何となく貴兄の映画を観てみようと思い立ったのでした。
既に上映途中でしたが映画館に入って驚きました。館内は若者からお年寄りまで満杯であふれ、立ち見が出るほどでした。
でもその時の私が何よりもっと驚いたのは、その観客たちが映画を観て、至るシーンで手を叩いて大声をあげて笑い、最後はハンカチを握って啜り泣いていたことでした。
正直に申し上げればこの時のストーリーはまったく覚えていません。それほどに僕はこの観客たちの熱気と、貴兄の映画のもつチカラに圧倒されてしまったのです。そして自分の見識の無さと未熟さに気付かされたのでした。
それからは48作全てを観続けることとなりました。そう、今度は自分があの時の観客のように泣き笑いしながら。
今観ればどれも理屈抜きに楽しく、山田洋次という稀代の監督とのコンビで練られた作品は日本人の心にほっとさせる潤いをもたらしてくれます。やはり貴兄の作品は年齢を経て観るほどに味わい深い気がします。
そして忘れもしない平成八年の夏、突然に、本当に晴天の霹靂としか言いようもなく貴兄の訃報を知らされることとなりました。
貴兄はその時の日本国民の驚きが理解できるでしょうか。
私の拙い記憶では日本中が数日の間、ただただ茫然自失に陥ってしまったかのようでありました。
その前年に公開され最終作となった48作目をその時まだ私は観ていませんでした。亡くなってしばらく後にテレビ放映で観た貴兄は観るに忍びなく、衰えを隠しようもないその姿は今も痛々しさに胸が苦しくなるのを覚えます。
思えば貴兄は実にミステリアスな俳優でありました。
死ぬまで国民のアイドル「寅さん」を演じ通し、本名の田所康雄としての私生活は微塵も見せてはくれませんでしたね。
若い頃に結核を病み片肺を摘出していたことも亡くなって初めて知りました。片肺のまま永く映画を撮り続けるのはきっと衆人には解らない苦しみもあったことでしょう。
それでも貴兄は最期まで「寅さん」を全うしました。
だから周囲もそれを察しているかのように、あくまで役者として見送ることを決めていたようでした。
だからこそ貴兄の葬儀で贈られた「さくら」と「リリー」の弔辞には貴兄を愛する者たち全てが万感の想いを抱いたのです。
しかし一方でこのことは俳優「渥美清」としては常に重い足枷(あしかせ)になっていたのも確かでしょう。寅さんシリーズ以外の貴兄の作品についてあまり語られないのはとても寂しい思いがします。
その中でも「あゝ声なき友」、「拝啓、天皇陛下様」は私の大好きな作品で、愚直で一本気な兵隊役は忘れることのできない、俳優「渥美清」の素晴らしさを改めて認識させてくれる作品でした。
貴兄が亡くなって間もない頃、テレビの特集で見た貴兄のインタビューシーンを忘れることができません。
役者という仕事について語る中で、
「スーパーマンの撮影を見に来た子供が言うんだよね。スーパーマン、飛んでって。飛んで見せてよって……。でも飛べないよスーパーマン。だってあれ糸で釣ってるんだもん。……辛いよねぇ」
そう話す貴兄の眼はなんとも悲しげで、この言葉に貴兄の俳優としての覚悟を垣間見たような気がしたものでした。
拝啓、渥美 清様。
貴兄は今ではなかなか見かけなくなってしまった大人の男であり本物の役者でした。
今年は十三回忌と寅さんシリーズ公開40周年の節目にあたり、貴兄にまつわる様々なイベントが行われるようです。
今でも貴兄の多くのファンがそう信じているように、日本のどこかの空の下を旅している「寅さん」の姿を思い浮かべながら、私も久しぶりにふらりと一人旅にでも出てみようかと思います。
合掌
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
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私も、一人旅が好きです。
色々な事を感じながら、時をすごせるので・・・
兄貴の映画、今度見てみます!
投稿者:南ひろみ
2008年09月09日 01:16
南ひろみさん、こんにちわ。
コメントありがとうございました。
長野県小諸市に「寅さん会館」なるものがあります。
いまの季節、
信濃路は夏の喧騒がウソのようにおさまり、
とってもいい雰囲気ですよ。
一人旅方々訪れてはいかがでしょう。
「渥美清こもろ寅さん会館」
長野県小諸市古城1丁目4番26号
TEL0267(24)0881
JR小海線小諸駅から徒歩5分
投稿者:LOHAS編集部
2008年09月09日 11:47
南ひろみ様
コメントをありがとうございました。
文面から察すると、まだお若い方かも知れませんね。
「寅さん」、いいですよー。
48作品ありますが、どこから観てもOKです。
もし「おもしろいな」と感じていただけたなら
できたら「寅さん」以外の作品も観てみてください。
今のこの国が捨ててきてしまった“大切なもの”が
たくさん詰まっています。
連載エッセイ『おとなの能書き』
これからも時々でいいので覗いてみてくださいね。
投稿者:イッコー・オオタケ
2008年09月09日 19:23
コメント