おとなの能書き
第二十回 老いの花
文:イッコー・オオタケ | 2009.02.14
少し以前にこんな経験をした。
ある日、お昼を食べようと最近できたばかりの飲食チェーン店に行ってみた。
お腹を空かせて店内に入ると入口の脇に大きな食券の販売機がある。
「さぁ何を食べようか…」と券売機のメニューを人差指でなぞり始めると、僕はそのままの状態で暫しの間、凍りついてしまった。
メニューがそのままスイッチになっているのだが、まずその数が尋常じゃない。それもベースの料理が多いのは勿論だがそれに加えてゴハンの盛り方やら十種以上もあるトッピング、それにサイドメニューまで全部を選択していくようになっている。
あんまりスイッチの数が多くてまずベースの一品がどこに在るのか皆目わからないのである。
僕が目を白黒させて立ち尽くしていると、後ろに若い男の子が並んだので僕は先に順番を譲ってあげた。
するとその男の子はチャッチャと苦もなくメニューを選んでさっさと席に着いたのだった。
「そういうことか…」僕はそこで初めて理解したのだった。
これは気付かないうちに僕が“そういう年齢”に近づいてきたということなのだ。
そう言えば昔、これと逆の光景を僕はよく目にしていた。駅の切符の券売機に並んでいると僕の前に居た腰の曲ったお婆ちゃんの順番になった。でもお婆ちゃんは路線図をじっと見つめたまま動こうとしない。いや動こうにも動けないのだった。
やっとのことで券売機に向かうが今度は切符の買い方が解らない。
それを見ていて僕は顔をしかめて苛立ちをあらわにしたものだった。
今になって判る。あのお婆ちゃんはいずれ確実に訪れる自分の姿なのだ。
因果応報である。
それと最近ニガ手なものにマニュアルというやつがある。
以前は家電品を買えば律儀にマニュアルに目を通していた。
視力が低下したせいもあると思うが今ではあの分厚い説明書を読むのが億劫でならない。すっかりマニュアル恐怖症になった。
考えてみればこれも老化現象のひとつかなと思う。
人間は生きていれば年齢はとる。誰にも判る当たり前のことだ。
でも人間誰しも老いたくはないのが心情だろう。
五十歳近くにもなれば、目や歯に始まり身体のいたる所に衰えは現われてくる。そろそろ成人病なんかも気になってくる。
ただ僕には身体の衰えを別とすれば、今ひとつ「老いる」ということにピンとこない。
考えてみてほしい。もしも、もしもである。肉体が衰えないとしたら「年齢をとる」のはそう悪いことじゃない気がする。
それは言ってみれば、人生経験を積み重ね智慧を深める。人の心の機微を識り、ケーススタディの蓄積を通して様々な障害に対処できる術を身につけられる。ということでもある訳だ。
読者の皆さんに訊いてみたいのだが、よく人生をもう一度やり直せたら…なんてことを言うけれど、みんな本当にそう思うのだろうか。
四十年、五十年という人生を生きてきて、まだなおあの生きているだけで苦しかった青春期を再びやり直すのは僕には余りにシンドイ。そこまでして再チャレンジするだけの気力は今の僕にはない。
これは特段僕の青春期が苦しかったから言っている訳じゃない。
思春期から青年期に生きていて辛いのは、人生経験が浅く、物事や人間関係に対処するだけの生きる術を持たないからだ。
少なくとも今の年齢まで齢(よわい)を重ねてくればそれなりの処世術なり物事の分別はある筈で、それを老後の人生に活かさない手はないではないか。
世阿弥という能楽の大家が能の指南書である『花伝書』の中で言っている。
人にはそれぞれ年齢に見合った所作なり演目というものがあって役者はその身の丈に合った花を咲かせる。
そしてある年齢に達したら、華のある重厚な役は若い世代に譲って自分は一歩引いて蔭から舞台を支えるべきだ。
けれどもそうしていく中に虚飾の無いきれいな花が最後には残るだろう……と。
今後、日本は未曾有の高齢化社会を迎える。
僕はいたって趣味の乏しい人間で、老後を趣味に費やそうとは思わない。
こういうタイプの人間ほど老後は余暇を持て余し高齢化社会にはそぐわないらしい。
「老いてなお盛ん」なお年寄りは今も大勢いらっしゃる。
いつまでも健康を維持して適度にスポーツなども嗜み、多くの友人や家族と接しながら長く愉しめる趣味を持って生きる。それは現代人の描く老後の人生の理想かも知れない。
でも僕はそれほど多くを望まない。
病気はしたくないがあまり長生きしても友も居なくなるし、することもなくなる。
できることならば死ぬまで自分の口を糊する適度に仕事をもって、あとは社会を横目で睨みながら、いつもブツブツと若い奴らや世の中に文句の一つも呟きながら、のほほ~んと生きていきたい。
「花」とはかなり縁遠いけれど、これが、ささやかな僕の老後の理想である。
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
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