おとなの能書き
第二十一回 春の贈りもの
文:イッコー・オオタケ | 2009.03.09
出がけにキュッと頬を刺すようだった朝の空気が日ごとにやわらかくなり、三寒四温を肌で感じられるようになる頃になってきた。
大方の日本人が、この時季になると何とはなしに気持ちが晴れやかな気分になるのは、春を心待ちにする思いが農耕民族としてのDNAに深く刻みつけられているせいなのだろうか。
特にある程度年齢を重ねてくると、肌状態や体調の変化などからも季節の変化にかなり敏感になる。兎にも角にも日本人が一年で一番喜びを感じる時季は春の訪れに違いないだろう。
春は生命に息吹きをもたらし、生きとし生けるものに元気を与えてくれる。
生粋の日本人気質の僕は今から本格的な春の到来が待ち遠しくてならない。
今年のように昨年来の全国的な不況や雇用不安で暗い話題ばかりの季節が続いただけに尚更である。
ただ、甚だ個人的な話で恐縮なのだが、今年の春は今までと違うちょっと厄介な問題が発生してしまった。
…グスッ。そう読者の皆様も多くが悩まされているであろう、あの花粉症がここまで耐えてきたのについに、とうとう吾が身に発症してしまったのだ。
日差しが暖かいある朝、表に一歩出た途端、鼻の奥に何かムズムズッときて、くしゃみの四連発に見舞われた。何しろこれまでに経験がないもので初めは、
「な、なんだ一体こりゃ…」という感じで風邪でも引いたのかと思っていた。
歩き出すとさらにくしゃみが出て、今度は鼻水が止まらない、更には目まで痒くなってきてようやくのこと、
「…これって、花粉症?」という文字が頭に浮かんできたのだった。
まぁ幸いなことにまだそれほど劇症ではなく、重症の人に訊けば「まだまだ初心者レベル」らしいのでひと安心したのだが、話によると後発の人ほど重症になる場合が多々あるらしく、これから春本番を目前に今は恐々として不安な毎日を過ごしている。
現代の日本国内での花粉症の罹患率がどれほどのものか詳細は知らないが、この時季のドラッグストアの棚に並ぶ膨大な花粉症対策グッズの商品群を見ればいかに多くの人たちが悩まされているか容易に想像がつく。
今や国民病とも言える花粉症だが、考えてみれば僕らがまだ子供の頃は花粉症なんて聞いたこともなかった。
僕が就職してまだ間もない頃、春先になると周囲に風邪でもないのにグシュングシュンする人たちが目立ち始めて、それからは毎年、この症状に見舞われる人が眼に見えて増えていった。
これほど花粉症が蔓延したのはやはりそれなりの理由があるようだ。
ご存じの通り、巷の花粉症キャリアの多くはスギやヒノキ花粉へのアレルギー症状だ。
医療関係者によれば、戦後数十年を経て日本人の生活スタイルや環境・衛生面の変化というのがもちろん大きな原因のひとつであることは確からしい。
多くが風呂付の部屋に住むようになり、掃除洗濯にも便利な家電製品が次々出現する。トイレは水洗が当たり前、挙げ句にはオシリまで洗ってくれるようになった。
社会が発展し生活が豊かになると人は必要以上の、少しでもキレイな、清潔な生活環境を求めるようになる。
ところが人の身体のしくみというのは実に複雑精緻の上に成り立っているもので、有史以来経験のない清潔な環境に人体は適応していない。ある程度の雑菌や寄生生物との共存を前提に身体機能が成立しているのである。
本来なら危機回避の機能であるはずの免疫が過剰に反応して自虐作用を起してしまう。
これが現代病として蔓延(はびこ)る花粉症の一因になっているのは事実である。
ただしもう一つ、我々自身の問題とは無関係な大きな原因をもたらしている犯人がいるのである。
それは日本国国家の国家事業だ。
太平洋戦争後の復興事業、そして高度成長に至る経済発展の過程で日本は莫大な量の森林資源を伐採、ほぼ無計画なままに資源利用をしてきた。
当然の話ではあるが、山に木が枯渇すれば環境が壊れそのまま放置すれば自然災害にもつながる。そこで行政は大量伐採された場所へ成長が速く手間の掛からない「杉の木」を大量に植林してきたのだ。
この影響で日本の森林地帯に「杉林」が文字通り林立することになった訳だ。
木材として切り出した広葉樹の森林の伐採地に、針葉樹を植え代えることは一見問題ないようだが、その実態は森林の植生に多大なダメージをもたらす。
落ち葉の下に宿る生命を奪い、本来の山林の保水力を著しく低下させる。その挙句の果てに、春先にはテレビCMで見るようなあのおぞましい光景が展開される。巨大な杉山からおびただしい量の黄色い花粉が、春風に巻き上げられて日本中に振り撒かれることになる訳だ。
近年ではこれに中国からの黄砂や産業粉じんがアレルギー症状の悪化に拍車を掛けていると言われている。
これはもう限りなく人災に近いのではないだろうか。
少なくとも税務署は花粉症対策にかかるマスクや医薬品のすべてを無制限に控除対象とすべきだ。
これは本気になれば意外に簡単に認可されるんじゃないかと言う気がする。だって省庁の役人や税務署員のなかにも重症患者は相当数いると思われるからだ。
今になって農水省もこの杉植林を進めてきた事業の見直しと改良策にあたっているようだけれど、僕に言わせてもらえばこういう愚行をまさしく「マッチポンプ」というのだ。
……グッシュン。
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
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