まるい地球を駆け抜けろ
第二回 敵として出会い、友達になる
文・写真:つなぶちようじ | 2007.08.21
戦争状態のなかで、自分の家族や親戚を殺した敵国の人と出会うことがどんなことか想像できますか? 祖国の人たちが敵国の人は悪い人ばかりだと伝えているなかで、自分の目で相手がどのような人かを判断することがどんなことか想像できますか?
2003年、「第1回イスラエル・パレスチナ・日本の子供たちによる親善サッカー大会実行委員会」は、イスラエルとパレスチナから子どもたちを招待し、日本の子どもたちとサッカーをしてもらうことを企画しました。そこでの対話を通じて平和への道を探るため、戦争状態にあるふたつの国の子どもたちに仲良くなる場を提供したのです。翌年からはNPO法人となりピース・キッズ・サッカー( http://www.peace-kids-soccer.com )と改名し、同様の活動をおこない続けています。私はこの活動を大変素敵なことだと思い、2003年からお手伝いしています。
みなさんは、イスラエルとパレスチナの関係について想像したことがあるでしょうか? イスラエルとパレスチナの子どもたちは分離壁などで最近では会うこともできません。イスラエル人が見るパレスチナ人はテロリスト、パレスチナ人が見るイスラエル人は兵士ばかりで、一般の人たちがどのように暮らしているかを実感できなくなっています。互いの国や地域では相手が悪い人ばかりと言われがちですが、実際に会ってもらうと悪い人ばかりではないことがわかります。成田空港に着いたイスラエル・パレスチナの子どもたちは、互いに仲良くなっていいものか戸惑いながら関係を作り始めます。そして、一週間程度の合宿のあと、別れを惜しむようになるのです。
チャンスさえあれば、誰でも良い友だちなれるかもしれません。子どもたちの国境を超えた友情について、エピソードを一つご紹介しましょう。2004年夏の大会が終わり、子どもたちが帰国したのちの8月31日、イスラエル南部のベールシェバで2台のバスが爆発し16人が亡くなりました。同年3月と4月に指導者ヤシン師とランティシ氏をイスラエルが殺害したことの報復だと、ハマスが犯行声明を出しました。この事件の起きたベールシェバは来日したイスラエルの子どもたちが住む場所に近かったので、パレスチナの子どもが同行してくれたNGOを通してイスラエルの友達の安否を確かめました。問い合わせの電話を受けたイスラエルの子の母親は、パレスチナの子どもが自分の子どもの心配をしていることに感動し絶句したそうです。
昨年2006年にはピース・キッズ・サッカーはそのノウハウを提供し、8カ国10地域から子どもたちを招待してサッカー大会をおこないました。優勝戦は沖縄と中国のチームで争い、中国が優勝しました。ゲームのあいだ、初戦で沖縄に負けたボスニア・ヘルツェゴビナが盛んに沖縄に声援を送っていたのが印象的でした。
試合前は各国互いにライバルです。なかなか国を越えてとけ込むことはできません。でもひとたび試合が終わると子どもたちは途端に関係を作り始めました。友だちになってしまうのです。提供されたTシャツや帽子に互いの名前を書き合い、いつかまた会おうと約束して別れたのです。
しかし、ハマス政権下で出国したパレスチナの子どもたちはイスラエルの子どもたちと親しくなるわけにはいきませんでした。それは子供の意思というよりは、付き添いの大人の都合でした。
別れの日、パレスチナの子どもたちと関西国際空港近くの高層ビルから大阪の街を眺めました。海を見たことのない、破壊された街しか見たことのない彼らは、その景色に息を飲みました。
「平和っていいだろう?」
少し酷かなとは思いましたが聞いてみました。するとひとりの男の子が応えました。
「僕らが平和な国を作ります」
プロフィール
つなぶちようじ
ライター。文章ワークショップ「ヒーリング・ライティング」主宰。NPO法人「ピース・キッズ・サッカー」理事。著書『胎内記憶』『あなた自身のストーリーを書く』など。マラソンを5時間以内で走ろうと調整中。
http://www.tsunabuchi.com/
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