おとなの能書き
第十七回 こころを病むということ
文:イッコー・オオタケ | 2008.11.14
ここ十年ばかりの間に僕の周りでこころを病む同世代の人間が続出している。
同級の古い友人、仕事仲間、かつての会社の同僚。僕の周囲の気の置けない仲間たちが次々と、まるで伝染病に罹患していくかのように倒れていった。
みんな家庭をもち社会の一線でバリバリ働き、普段は病気とは全く無縁に思われる男達ばかりだった。
彼らはほとんど何の前触れもなく、或る日突然、精神的に不調をきたし或る者は職場を去り、また或る者は親しい仲間に何も告げないまま姿を消した。
何を隠そう僕もその一人だった。
今からもう十年近く前になるが四十歳を目前に僕は神経症になった。
ある日突然眩暈(めまい) に襲われて、「一体これは何だ……」と思っている間に今度は激しい恐怖感で外出することが困難になった。
思えばこのひと月ばかり前に予兆らしきものがあった。
僕は元来アルコールには強いほうで、相当量呑んでも酒で前後不覚になったことはそれまで一度もなかった。
ところがそれは知人と行きつけの店でウイスキーを三杯ほど呑んだ時だった。突然視界が揺れ始めたと思ったら目の前が真っ暗になってその場で気を失って倒れてしまった。でもほどなく僕は覚醒しその時は大事に至らずに済んだ。
こんな事は後にも先にも初めての体験だったので僕は驚愕したと同時にその時の恐怖感がトラウマとして残った。
この時のトラウマが後に大きな影響を及ぼすことになった。
自分がいつ倒れるかもしれない、と思うと怖くてバスや電車に乗ることもできない。
当時は長く勤務していた会社を離れて自分で仕事を始めたばかりだったので、初めのうちは様子を見ながらなんとか仕事の遣り繰りをした。しかし時が経つにつれ状態はどんどん悪化の一途を辿っていった。
外に出るのがどうにも苦しくて苦しくて仕方がない。
仕事に出なきゃならないのにその気力が湧いてこないのだ。
それでもなんとか振り絞って死ぬ思いで出勤した。外に出て日を浴びると膝がガクガク震えて冷や汗でびっしょりになった。
二、三日何もせずゆっくり過ごしてみようとするが、むしろ焦燥感に苛(さいな)まれていたたまれなくなる。
そのうちに人に会うことが辛くていよいよ仕事にもならない状況になった。強い不安と孤独感が押し寄せ、本を読んでもテレビを観ても無味乾燥で面白くもなんともない。
ただ「このままじゃいけない……」という焦りだけが繰り返し湧き上がってくる。
そんな状態になってようやく病院の門を叩いた。それでも当初は原因が判らず、いくつかの科を廻されて検査を繰り返した挙げ句、やっと「不安神経症」と「パニック障害」という病名がついて投薬治療が始まった。
今にして思えば僕はこの頃、抱えきれないくらいのストレスを背負っていたと思う。
まったく前向きになれない、毎日何もかもが不安だらけで先に何の光明も見えない精神状態は本当に苦しいものだった。
そんなにも苦しいのに、それを誰にも相談することもできなかった。誰に説明したところで本当に理解してもらえる気がしなかった。
この頃になって僕の古い友人たちが最近まったく連絡が取れなくなっていた僕を不審に思って仕事場に押しかけてきた。
僕を無理矢理に食事に連れ出すと「最近のお前は明らかに変だ、わけを話せ」と詰め寄られた。
いきなりの展開にその時は焦りとプレッシャーでドギマギして旨く受け答えができなかったが、僕は彼らの思いが心から嬉しかった。
それからしばらくのち、投薬の効き目もあってほんの僅かづつだが、薄紙を剥がすように僕の神経症は快方に向かっていった。でもやっと快復したと言えるまでにはそれから約五年の歳月が必要だった。
正直に言えばこの間、苦しさの余り一瞬とはいえ“死の影”がよぎった事もあった。僕は自分がそんな事を考えるなんて思いも拠らなかったので少し驚いた。そして人間なんて弱いもんだ……と思った。一時期の僕はそれほどまでに追い込まれていたのだった。
今や神経症は国民病と言ってもいいほど世に蔓延している。
特に平成を迎えて以降、この傾向に拍車がかかっている。何故今これほどまでにこころを病む人々が増加しているのだろう。
自らこの現実を体験した僕には一つの仮説がある。仮説ではあるが確信に近い。
神経症と同様に現代病として増加の一途を辿る症状にアレルギー症がある。
アレルギーとは本来人間のもつ免疫が或る特定の物質に対して過剰な反応を起こして自身に様々な障害を起こす症状だ。
これはひょっとすると神経症もこれに近い症状で、脳内にも何らかの免疫システムがあってそれが過剰反応を起こしているんじゃないか。つまり現代の閉塞感でいっぱいの、ゆとりのない極度に先鋭化した社会に対する人間のアレルギー反応なのじゃないか、ということだ。
もちろん僕は医者でも学者でもないからいい加減なことは言えない。でも結構核心を衝いているような気がする。
体験した人には感覚的に理解できるのではないかと思う。少なくとも僕にはそう思えてならないのだ。
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
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私も、今まで色々ありました。
今も、まだ最中かもしれません。
心が苦しい中で生きてきたと思います。
そして、歌に出会いました。
歌っていると、幸せになれるので・・・
浅草のお店は、いい方ばかりなので幸せです♪
私の歌を聞いた方に、幸せが伝わるように!そう願って歌っています。
投稿者:南ひろみ
2008年12月03日 22:19
南ひろみさま
お久しぶりですね。
いつも僕の拙文を読んでいただいて本当にありがとうございます。
それと、失礼しました。
「陀輪」でお目にかかった南ひろみさんだったんですね。
そうでしたか…。
憶測でしかありませんが、今までも辛い時間を過ごしてきたのだろうし、きっと今も、サーカスの綱渡りみたいに自分でこころの微妙なバランスを保ちながら、一日一日、自分に折り合いをつけて生きている、そんな感じでしょうか?
何が貴女のこころを苦しめてきたのか、僕には判りませんが、その苦しい中で必死に自分を立て直しながら生きてきたであろうということは僕にはよーーっく 理解できます。
「私の歌を聞いた方に、幸せが伝わるように!そう願って歌っています」
という貴女のメッセージにはとても共感を覚えます。
僕もこのエッセイでいろいろと好き勝手なことを書かせてもらっているのですが、こんなつまらない文章にでも、「読んでるよ」とか、「あれ面白かったね」とか反響があるとこころから嬉しいものです。
何が嬉しいのかというと、それはやっぱり自分の思いを“誰か”に伝えたいと思っているからなんですよね。
きっと貴女は自分の思いを歌にのせて“誰か”に伝えているのでしょう。
それは一方で実は自分への「癒し」でもあります。
それを見つけた貴女はきっともう深刻にならなくて大丈夫ですよね。
僕はこの病気で少々辛い思いを味わいましたが、代わりに得たものもいろいろとありました。
当たり前のことですが人生というものは経験の蓄積から成り立っています。
良くも悪くも深い経験の蓄積こそが人生を豊かにしてくれるものです。
あのエディット・ピアフが、越路吹雪が、美空ひばりがそうであったように、辛い経験を積みながらも豊かな人生の裏付けがあるからこそ、彼女たちの歌は人の心を打つのだと思いませんか?
貴女の得た貴重な経験はきっと貴女の歌に深い味わいと、聴く人に伝わるチカラを与えてくれるはずです。
なんだかおやじの説教臭くなってしまってごめんなさい。
タイトルが「おとなの能書き」ってことで勘弁してください。
貴女の歌、僕は好きです。
今度また浅草で素敵な歌声を聴かせてくださいね。
投稿者:イッコー・オオタケ
2008年12月07日 11:48
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