おとなの能書き
第十一回 喫煙者の憂鬱
文:イッコー・オオタケ | 2008.05.19
その昔、僕はタバコの似合う大人にあこがれた。
考えてみれば高度成長を続ける昭和の真っただ中、僕の記憶では父も大伯父も親類のおじさんたちも大人の男の人はみ~んなタバコを吸っていた気がする。
実際、銀幕の中では石原裕次郎や宍戸錠が、勝新太郎や田宮二郎が、TVドラマではショーケンや松田優作が、カッコ良く咥えタバコをキメていた。
文壇に至っては、まぁ仕事柄と言ってしまえばそれまでだが吸わない作家を探す方が難しい。この頃はまだ缶入りの両切りピース、いわゆるピーカンを脇に置いて延々と吸い続ける猛者も珍しくなかった。
でも今東光や柴田錬三郎みたいなものの判った大人がタバコをくゆらすポーズはやっぱりサマになっていた。
先日映画監督の市川崑氏が93歳で亡くなったが、この人も愛煙家として名を馳せた人だった。ちょうど都合良く一本欠けた前歯にタバコをはさんでカメラのファインダーを覗きこむ姿は愛らしくもあった。
聞くところによるとなんでもこの市川監督、87歳で禁煙されたそうである。なんとも切なくもいとおしい話だ。
昨今「ちょい不良(ワル)オヤジ」なる珍妙なフレーズがマスコミでブームになった。
元々は中高年世代向けのファッション雑誌が消費を拡大するために考えたコンセプトらしいが、段々このフレーズだけが独り歩きを始めて僕らオヤジ世代自らが喜んでこのブームに乗ってしまった。
その結果、休日の都会のちょっと小洒落たショップには明らかに不似合いなレザージャケットや原色系のシャツを着た、ただのオヤジが溢れることになった。
ちなみに僕はこの「ちょいワルオヤジ」というネーミングが大キライだ。
なんと薄っぺらい言葉なんだろうと思う。
ちょっと奇抜なデザインのネクタイなんか締めて飲み屋に行って、ネクタイをピラピラさせながら女の子に「どうだ、オレってちょいワルだろ? 」みたいなことを言ってるオヤジなんかに出くわすと、後ろから忍び寄っていってクビのひとつも絞めてやりたくなってしまう。
それでいてこういうオヤジに限って禁煙してたりするのである。
先に挙げた愛煙家の中にこんな安っぽいフレーズを附けられて喜ぶようなオヤジは一人もいない。
(…と、僕は確信的に思っている)
本来喫煙にしろ酒にしろ嗜好品というものは、例え身体に害を及ぼすとしてもその個人の責任と判断でたしなむべきものだ。ただしそこには、たしなまない人への配慮が絶対条件として担保されねばならない。
最近は日々喫煙者の肩身が狭くなる一方のようだ。でも未だに彼らの無神経な行動がいたる所で目につく。
せまいラーメン屋のカウンターでの隣で平然と吸う。家族連れで混雑した街中での歩きタバコ。火のついたままのタバコをクルマの窓から投げ捨てる。
「これじゃ言われても仕方ないな」と思う。
だからと言ってこんなことは法律や条例みたいなものでお上から縛られるべきことじゃない。世間の人たちが喫煙者もずいぶんとマナーが良くなったものだと思うようになれば風当たりもだいぶ変わると思うのだ。
なんだかここまでは愛煙家を擁護してきたような流れになったが、僕自身は四年前にきっぱりタバコとは縁を切った。
だから僕に喫煙者を擁護する理由はない。でも一方的に非難する気にはなれない。
今この時代にタバコを吸い続けるのはむしろ覚悟の要る行為だと思う。
僕がタバコを止めた理由はもちろん健康面もあるが、もういい加減面倒臭くなったのだ。
「何が? 」って、一つはこの時代にタバコを吸えば親しい人から禁煙を勧められる訳で、それでも吸うにはそれなりの言い訳が要る。これを毎回捻り出すのが面倒になった。
それともう一つは、仕事場や外出した時にいちいちタバコとライターを持ち歩かねばならないこと。タバコが切れてもライターを忘れてもタバコは吸えず、ずっとイライラすることになる。
この二つに僕はいい加減疲れてしまったのだ。
だから四年前のある日、たまたま風邪で三、四日タバコが吸えなかった期間があったので「止めてみようか…」と思い立ち、そのまま無期限延長して止めた。
タバコを持ち歩く必要がなくなって、「ああ、これでタバコから解放された」と思った。
思えば三十年近くも吸っていたのだから無理もない。
タバコを止める、なんていうのは所詮その程度のことだ。そんなに難儀なことじゃない。
むしろ喫煙者バッシングのこの時代に、病気の恐怖に怯えながら自覚と責任をもって吸い続けることの方がよほどエネルギーが必要なのじゃないかと思う。
でも、それでも吸い続けようという勇気あるスモーカー諸氏に、僕は敬意を表したい。
ただどんなに悪者にされても「ちょいワル」なんかじゃなくて、ホンモノの大人のオヤジであっていただきたいものだ。
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
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