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おとなの能書き

第九回 コドモの時間、オトナの時間

文:イッコー・オオタケ | 2008.03.12

(写真その1)

 時間というのは退屈だったり苦痛な時間はとても長く感じ、楽しくて物事に熱中している時の時間はやたらと短く感じるものだ。
 それに大人になるとやはり時間の経つのを速く感じる、というのもまた多くの人が感じていることではないだろうか。
 これはいったいどういうことなのだろう?

 僕の場合、三十歳を超えた頃からうすうす感じてはいたのだが四十歳を超えるとこの感覚はますます顕著になって、それからは年を追うごとにまるで時間の感覚に加速度がついていくかのようだ。
 思えば小学生の頃45分の授業は本当に長くて、一学年上がるのは途方もなく長い時間だった。それがどうだろう、今では一日一年が瞬く間に過ぎていく。
 どう考えても子供の頃の時間の感覚とは大きな隔たりがある。

 この感覚は僕の周りの知人に訊いてみてもほぼ全員に共通していた。
 僕はこうしたちょっとややこしくて不思議なハナシが大好きだ。だからずっとこの理由を知りたかった。
 しかしみんなが感じているのに誰に訊いてみても明快な答えが返ってこない。
 それでも食い下がって訊くと、
「ほらっ子供の時ってみんなヒマだったから」とか、「大人になるとみんな年齢をとりたくないから無意識にそう感じるんだよ」
 みたいな答えばかりでどうにも腑に落ちなかった。

 こうなれば自分で解答を見出すより他ないではないか。僕は無いアタマをきりきりヒネって考えてみることにした。
 するとある時、まるで一休さんのとんちがひらめいたみたいにアタマの中でチーンと鉦(カネ) が鳴った。

 たとえば10歳の子供にとっての10年という時間を考えてみる。するとこの10年は子供の人生すべての時間だ。だが40歳の大人にとっての10年はその人の人生の四分の一なのだ。
 これはつまり10歳の子供は40歳の大人の4倍時間を長く感じているということになる。

 時間というのは言い換えれば人生経験そのもののことで、同じ10年でも経験値の密度の高い子供の時間と年齢と共に密度が低下する大人の時間ではその感覚に差が生じるのは当然なのかもしれない。

 僕はこれに思い至ってやっと得心がいったのだった。ある酒席で僕が得意になってみんなに言いふらしていたら、誰かが「あれっ、それ聞いたことがあるな……」とのたまうではないか。
 後から判ったことだが、なんとこれには「ジャネーの法則」というれっきとした学説まであった。
 フランスの哲学者のポール・ジャネーが提唱した理論で「生涯のある時間における時間の心理的な長さは年齢の逆数に比例する」というものだ。

 なんのことはない、僕があれほど苦労して考え付いたものが、たったの一行半できれいに片付いてしまった。世の中にはアタマのいいご仁がいるものである。

 ジャネーによると大人になると時間を速く感じるのには他にも理由があるらしく、子供の場合、まだ余白が多い脳の記憶スペースにどんどんと未経験で新鮮な経験が刻まれていくことも大きな理由らしい。
 まぁいずれにしてもこれから年齢を重ねるほどに時間が速くなるのは事実のようだ。
 しかしそうだとするとちょっと困ったことになる。
 人生のほぼ折り返し点を通り過ぎた自分の人生を考えれば残された時間などたかが知れている。
 それが今より更に速く過ぎていくとしたら、僕の人生なんてもう残りあと僅かなんジャネー……?
(あぁなんとも悲しいダジャレでごめんなさい)

ジャネー先生はこのことをどう思っていたのだろうか。同じギモンを抱いた者のよしみで是非訊いてみたかったものだ。


プロフィール

イッコー・オオタケ
イッコー・オオタケ

1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。


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