おとなの能書き
第五回 おとな不在社会の憂鬱
文:イッコー・オオタケ | 2007.11.05
のっけから恐縮だが今回は思う処あって、少々愚痴めいた文章になることをお許し頂きたいと思う。おじさん、最近いい加減オツムにきているのだ。(“オムツ”じゃありません。フレーズが昭和でごめんなさい…)僕がこのエッセイを書くにあたって、「おとなの能書き」をタイトルに謳ったのは、昨今世間に“まともな大人”が明らかに減少しつつある気がしてとても不安に駆られたからだ。ここしばらくの間、マスコミを通じて世間を賑わせているニュースの多くが、実のところこの「まともな大人の減少」に起因している。と、僕は思っている。
相撲の朝青龍問題に親方による新弟子リンチ死事件、これに続く亀田親子問題、それに円天詐欺事件なんていうのもあった。どれもこれも「まともな大人」の智慧や分別というものがあれば、もしくは傍にその眼があれば起こりえないような出来事なのである。
相撲については朝青龍もリンチ死事件のどちらもこれは親方なり相撲協会、つまり国技「相撲」という閉鎖的で特殊な世界を取り巻くオトナたちの無能力、無分別が生んだ事件に他ならない。朝青龍はともかく、こんなどうしようもないオトナたちのせいで死に追いやられた若者は不憫でならない。亀田親子についても根本はまったく同様で、確かに直接問題を起こしたのは息子なのだが所詮はまだまだ精神的にも未熟な子供たちだ。何といっても大人としての資質を欠いた傍若無人な言動を繰り返す父親に問題の本質があるのは明らかだ。まともな大人に成長できていない親が子供を育て教育している。亀田親子に限らず昨今の親子関係に見られる、どうにも薄ら寒くなるような現実である。
この問題はそれだけにとどまらずジムやマスコミという取り巻きのオトナたちが金になりそうなこの親子を囃(はや)したてて利用してきたのだから、これはもはやダメなオトナたちによる組織的な悪行と言っていい。ただ一つ救いなのは、かの試合の相手、世界チャンピオンの内藤選手が実に「まともな大人」だったことで、日本ボクシング界は内藤選手のお蔭でどれだけ救われたかをもっと識るべきだと思う。
そしてあまりに幼稚で書くのももどかしいのが円天詐欺事件である。供託金を払って会員になれば「円天」なる独自の通貨がもらえて何年か後には供託金も返ってくるシステム、らしい……この問題を一言で言うならこう言うしかない。「バッカじゃなかろっか」まぁこんな絵空事を作る方も作る方だが、こんなヨタ話に踊らされる人間の頭の中が計り知れない。被害者はみーんないいオトナなのである。人生数十年、経験や苦労を積んでこつこつと貯めた蓄財をいったい何をどう間違えてこんな詐欺師どもに注ぎ込まなきゃならないのか。この世知辛い世にそんな美味しい話がある訳がないことくらい何故、智慧が及ばないのだろう。申し訳ないけれど僕は彼らに同情する気になれない。
こういう事件が続くと実に憂鬱な気分になる。そりゃ昔だってこんな事件もあっただろう。ただひと昔前にはこうした人たちをたしなめる大人存在が随所にあった気がする。亀田親子が今回問題になる以前、マスコミが持て囃す彼らを取り上げた番組で、あの父親を面と向かって叱りつけたのは僕が知る限り「やくみつる」氏ただひとりだった。僕はその場面を見ることができなかったが、それを知って「やっとここにまともな大人がいた」と、快哉を叫びたいキモチだった。
大人がいなくなりつつある社会はやはり病んでいるのではないだろうか。世間の人たちの想像以上にこの病巣は深く進行している。
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
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