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おとなの能書き

第三回 コピータウンの増殖

文:イッコー・オオタケ | 2007.08.31

 1980年代、僕は二十代の半ばから約十年間、職場のあった六本木に通った。 当時から六本木といえば今と変わらずオシャレで華やかな大人の街で、夜ともなれば多国籍の人種が入り乱れる“不夜城” だった。

 ただデイタイムの六本木の街はまったく違った貌を見ることが出来た。この辺りには広告やデザイン関係のプロダクションなんかが沢山あって、カタギの会社よりやや遅めの通勤タイムには日比谷線の出口 (当時は日比谷線しかなかったのです) から吐き出された若者たちは眠たい目をこすりながら六本木の裏通りを足早に駆け抜けるのだった。

 僕もそんな中の一人だった訳だが 面白かったのは、精一杯肩肘を張って当時の先端ファッションに身を包んだ彼らが通り過ぎる路地に、ラクダのシャツにステテコでラジオ体操に興じるオジサンの姿がちょこちょこと見られたことだった。別にこのオジサンのことが可笑しかった訳じゃなくて六本木という時代の最先端の街で精一杯そこに溶け込もうとする若者と、昔からの住人たちの日常とのあいだに垣間見えたコントラストが面白かったのである。

 まちの面白さは“多様さ”にあると思っている。その街独自の成り立ち、特色のある産業や食べ物。住む人やそのまちに関わる人々の暮らしや息遣いが感じられる町並みや商店街。そうした一つひとつがまちを形成する重要な因子である。だから当たり前の話だが日本のどこにも同じまちは存在しない。

 −−−と、思っていた。しかしながら今日、そうとも限らない風景がモコモコといたる処に出没してきている。

(写真その1)

 東京のまちは、六本木であれ丸の内であれ汐留であれお台場であれ日本橋であれ品川であれ錦糸町であれ北千住であれ亀有であれ、(ああシンド……)規模の大小はあっても、いつの間にやらどこも判で押したような光景に覆われているではないか。高級ホテルと隣接する高層マンション、巨大スーパーの上には流行のマトリックスシアターがあり、その隣には有名シェフのレストランとテナントショップのビル。さらに大きな施設になると美術館にコンサートホールが備わる。

 これは実は東京ばかりではなく今や日本中の至る都市に見られる“イマドキのまち”の姿である。古くからの商店街や込み入った路地裏の横丁がここ数年めっきりと消え失せつつある。こんなまるで役所に飾られた模型のようなまちの一体どこが面白いのだろう。まちには清濁混在の中にも人々を抱き留める母体のようなぬくもりがあって欲しい。だから、ただキレイなだけの血が通っていないまちには何の魅力も感じられない。

 この前、数年振りに表参道をクルマで通りがかって驚いた。くどくどと説明しようとも思わないが、かつての同潤会アパートのテイストを残しながらデザインされたという街並みは巨大なブランドショップの広告サインに埋め尽くされて、僕の識る、あこがれのまち“表参道”ではなかった。

 けれども、これでいいのかな…と思いながらも、納得せざるを得なかった。ブランドショップの大きな袋を下げて歩く人々の嬉々とした表情には何のてらいもない。新たに生まれたどの施設にもそれなりに人が入っている訳で、ネガティブに捉えているのは自分くらいなのかもしれない……。でもこれだけは間違いない。記憶の中のあのまちを、もう二度とは訪れることはできないのだ。


プロフィール

イッコー・オオタケ
イッコー・オオタケ

1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。


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