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おとなの能書き

第二回 スピリチュアルな?メッセージ

文:イッコー・オオタケ | 2007.07.27

 スピリチュアルブームなんだそうである。そうテレビでM輪さんとE原さんがやってる人間の霊性を分析する“あれ”だ。残念ながら僕は俗に言うところの「霊感」みたいなものは全く持ち合わせていない。ただ、そうしたスピリチュアルなチカラとか霊魂、第六感みたいなモノに対して否定はしない。人間にはまだまだ未知のチカラがあるんじゃないか、という漠然とした思いと、そう考える方が人生ずっと楽しいし自然だと思うからだ。霊感はないけれど、今から少し前にこんな僕でもちょっとびっくりする体験をした。

 僕の母の家は浅草で髪飾りなどの小間物を商う旧い商家だった。その母が亡くなったのは僕が成人して間もない頃、今からもう二十五年も前のことだ。ここに一枚の旧い写真がある。実はこの写真はちょっと信じがたいルートを辿って今こうして僕の手元に在る。

 こういう場所にエッセイを書かせてもらいながら僕はパソコンが苦手だ。いつも四苦八苦しながらキーボードと対峙している。そんな僕でも幾つか好みのサイトのメルマガを購読している。もう二年ほど前になるが、僕は昭和という時代をこよなく愛しているので、いつも気持ちよく僕を昭和レトロ気分に浸らせてくれるお気に入りのサイトのメルマガに目を通していた。

 するとその中にアメリカの「オハイオ州立図書館」に所蔵されている「昭和二十年代の戦後日本の風景」という写真画像が期間限定で一般に公開されている、という記事があり、そのリンクが貼られていた。

 これはどうやら戦後、アメリカの従軍カメラマンが敗戦後の日本の風俗を米国内や海外に紹介しようと日本各地を歩きながら撮り貯めたフィルムのようだった。僕はこうしたレトロな写真が大好きだったので早速リンク先に飛びついた。

 画像はすべてモノクロで東京の繁華街から日本全国各地の風景が網羅されていた。戦後の荒廃した都会の町並み。いたる処まだ焼け野原のままの町を走る路面電車。周囲に何も無い田舎の自然に遊ぶ子供たちは開放的な笑顔に溢れている。まだバラック造りの家も多いがすでに復興の始まった様子もそこには見て取れた。

(写真その1)

 するとモニターに流れていく画像の一枚にハタと眼が留まった。思わず「あっ!」と唸った。

 なんと、…そこに僕の母が居たのである。

 何故すぐに気づいたのかと言えば、実家の店がそっくりそこに写っていたからで、僕の知る店の姿よりかなり旧いが店の看板の屋号はそのままだった。そして何より僕が生まれる十年以上も前の母の顔が確かにそこに活写されていたのだ。おそらく年末から正月の時季だろう、簪(かんざし)を商っていた店で母と芸者らしき女性が遣り取りをしている。

 仰天した…。わが眼を疑った。顔は半分ほど隠れてはいたが、でもそれはどう見ても亡くなった僕の母親の姿で、懐かしい面影はどうにも疑いようもなかった。僕はしばし凍結したまま、ただぼーっとその写真を眺めつづけていた。

 それからやや冷静を取り戻して、こんなことがあるんだな……と思わず独り呟いてしまった。よくよく考えてみれば、これは奇跡的な偶然が重なって起きた現象なのである。

 まず、僕がパソコンを扱っていたこと。そして世に数多(あまた)あるであろう情報サイトの中の、それもかなりマイナーなHPの読者で、そのメルマガの登録をしていて、且つその細かな記事を読んでいたこと。そして「オハイオ州立図書館」のリンクに自分からアクセスして、一枚一枚画像に目を通していたこと。それにもちろん僕の母を件 (くだん)のカメラマンが 撮影して いて、僕には縁もゆかりも無い日本から遥か彼方のオハイオ州の図書館に半世紀以上もの間、所蔵されていたということが大前提である。こうした恐ろしいくらいの偶然が重なった結果が、この写真画像なのだ。これはもう奇蹟以外の何ものでもない。

 でも実はこれも不可思議なのだが、このリンク頁を見つけた時、どこか遠い頭の片隅に“何かがあるかも知れない”というちょっとした興奮と奇妙な予感めいた感覚があったような気がする。これはどういう現象なのか、自分にはどうにも説明のしようもない。きっとこれこそ「スピリチュアルなできごと」なのだろう。

 その日は一日なんだか狐につままれたようなキブンでいたが、なんだか母がひょっこりと僕を訪ねて来てくれたような気がして嬉しくなった。

 ところでこの写真の中の店だが、その後、紆余曲折ありながら十年ほど前から僕がこの店の主をしている。

 母と久々の再会を果たしたその夜、僕は心の内で「おかえり、久し振りだったね」と、パソコンの中の母に声をかけた。


プロフィール

イッコー・オオタケ
イッコー・オオタケ

1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。


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