おとなの能書き
第一回 歓 酒
文:イッコー・オオタケ | 2007.06.29
気の利いた老舗の居酒屋にはふと、ああ、自分もいつかはこんな酒呑みになりたいものだ…。という気にさせられる呑み手というのが居たりする。
夕刻、まだ開店間もない居酒屋のカウンターで、品のいい身なりの初老の男がスッと席に付く。不思議なもので居酒屋の注文にはオヤジに一発で届く声と、いくらがなりたてても届かない声がある。注文が通らずにイライラする酔客を横目に、男は絶妙な目配せとタイミングで注文を通すと、寡黙に呑み続けること小一時間。代金を置いてサッと席を立つ。
その仕草がいちいち堂に入っている。粋な大人ぶりに感服していた。かつてはこういう“手錬れの酒呑み”は昼下がりの蕎麦屋なんかにもよくいたものだ。今も時折、板わさともり一枚の皿を睨みながらぬる燗をちびりちびりやっている“手錬れ”を見かけるとつい見入ってしまう。
こういう「大人」は決して店で酔っ払って管を巻いたりしない。酒の呑み方は、生き方に通ずる、のだ。
古今東西、酒に関する逸話というものは数限り無いものだが、ここで一遍の詩を紹介したい。「歓酒」という詩で原文は唐の時代の干武陵という人が作った五言絶句だ。
勧君金屈巵 満酌不須辞
花発多風雨 人生足別離
これを大家の井伏鱒二はこう訳した。
<この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ>
大人である。大人でないと作れない詩だ。思えば自分も学生時分から今まで散々と痛飲を重ねてきたがいつの間にやらそんな大人の年代に近づきつつある。とても“粋人”にはなれそうもないがせめて酒の呑み方くらいは大人のたしなみを持ちたいものだ。かの、しょこたんも言っているではないか。「それが大人のマナー」って、ねっ。
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
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そんな粋な大人に自分もなりたい!な〜んて思っちゃいました。
最近はそんな大人に出会っていないということかもしれません。
自分だってすっかり大人の年齢なのに・・。
「さよならだけが人生だ」なんて、さらに大人の台詞。
大人への道は遠いなぁ〜。
投稿者:ぴー太郎
2007年07月11日 16:40
ぴー太郎さん、お便りありがとうございます。
おっしゃる通り、粋な大人が少なくなっているような気がします。
井伏鱒二は、山登りをし山頂に立った瞬間、
あまりの気持ちよさに放屁した、と文章を綴っています。
粋であると同時にかなりの豪傑だったようです。
粋な所作、物言いは、まず大らかであることが大切なのではないでしょうか?
ぴー太郎さんは「粋」をどう考えますか?
またお便りください。
投稿者:LOHAS編集部
2007年07月12日 05:52
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