おとなの能書き
第二十四回 日本人の心得 ‐最終回‐
文:イッコー・オオタケ | 2009.06.15
最近テレビでかつての黒澤映画のリバイバル作品を観る機会があった。時代劇で前評判も高く、出演者も現代人気俳優たちによる豪華オールスターキャストということだった。
なんといっても黒澤作品である。元々オリジナルがすばらしく、完成度の高いストーリーだ。面白くないわけがない。
良くできていた。でも……しかしながら観終えて僕には曰く言い難い違和感が残った。
何だろう、何かが違う……というか、何かが足らない気がする。
はっとした。……「顔」が違うのだ。
彼らの顔はどうメイクを凝らしたところでもう日本人の武士の顔じゃないのである。
当世の人気俳優である。男でも八頭身の小さい頭に細い顎、手足は長くやや撫で肩な身体つき。まぁ沖田総司とか眠狂四郎ならそれでも恰好はつくかも知れないがここでは野武士の設定だ。
オリジナルを知っているという先入観はあると思う。
ただ、それでもだ、やはりここは野武士らしい風貌、風格というものを見せてほしいのだ。
このことがあって思い出した。黒澤明は晩年に何かで「七人の侍」の話になって、「もう二度とこんな映画は撮れない」と言ったという。何故かと問われ「だってもうこういう侍ができる顔の役者がいないじゃないか」と。
別に今の俳優が不満なわけじゃないし、何でも昔が良かったと言うつもりもない。
ただ時代劇ばかりでなく昔の映画やドラマなんかを観ると若者でもみんなちょっとびっくりするくらい老け顔なのに驚く。これは時代背景や生活スタイルの違いに因るところが大きいのだとは思うのだが。
でもだんだんと日本人の顔が侍に似合わなくなるっていうのも何か寂しい話である。
話は変わるが僕は浅草で長く商売をしていて場所柄、外国人観光客も多いのだが最近ちょっと驚くことがある。
外国人客が来ると僕はカタコトの英語で話しかけるのだが、僕が身振り手振りで四苦八苦しながら話しかけると、流暢な日本語が返ってきてびっくりさせられることがたまにある。それも相手は真っ青な瞳にブロンドヘアのどう見ても日本語ができるようには見えない、とんでもない美女だったりする。
それも最近の、モノを知らない日本人の大人なんかよりも遥かに日本文化や伝統芸能に詳しいのだ。こっちが訊かれても答えられないような質問までされてドギマギしたこともあった。
きっと日本人と国際結婚していたり、子どもの頃から日本で暮らしていたりするのだろうがこんなことは、ひと昔前なら考えられないことだった。
あるTVドキュメンタリーで知ったのだが、かの世界に名だたるファッションブランド『シャネル』の日本法人の社長もそんなひとりだ。
リシャール・コラス氏というれっきとしたフランス人なのだが、この人の日本通はまさに筋金入りだ。生半可な日本人にはとても太刀打ちができないくらい“日本人の心”を理解している人物と言っていい。
学生時代に日本を旅して日本と日本人が好きになり『シャネル』に就職して後、再び日本を訪れ日本人と結婚し鎌倉に純日本家屋を建てて暮らしている。
畳の部屋に布団で眠り、朝食にはクロワッサンよりも納豆と塩ジャケを好む。今では出張でパリの本社に行くとホームシックで早く日本に帰りたくなるという。
しかしこの人の凄いところはまだ他にある。
『シャネル』が銀座に自社ビルを建設した折、この建築に携わった人、元請けの建設会社ばかりでなく下請けの工事関係者、職人の一人ひとりに至るまでその名前をビルの入り口の記念プレートに刻んだのだそうだ。
その理由を問われて彼はこう言う。
「だってこの工事をしてくれた人が家族を連れて銀座に遊びに来た時に子どもに見せてあげられるじゃない」
こうした思いやりの気持ちこそが「日本人らしい心配り」なのだと彼が話すのを聞いて、僕は生粋の日本人として誇らしく思うよりも恥ずかしいキモチになった。
いったい今どれだけの日本人にこうした心配りができるだろうか。
日本人がいつの間にかすっかりどこかに置き忘れてしまった“本当に大切なもの”。それをめぐり巡ってひとりのフランス人から教えられることになるとは……。
思えば日本人の風貌も気質もひと昔以前とは大きく変わったように思う。スポーツや芸能の世界でも今や世界の第一線で活躍する日本人も数多く見ることができる。
その一つの要因には日本人や日本の心、つまり精神性をも含めた日本の文化というものが広く世界の人々に理解されるようになったことも大きいと思われる。
でも肝心の日本人自身はどうなのだろう……。
拝金主義や自分たちに利があれば他人はどうでもいいという風潮がまかり通る今の日本で、道徳心や他人への心配り、謙虚さや勤勉性といった古来日本人が大切にしてきた高い精神文化は今や急速に失われつつあるように思う。
風貌やスタイルが日本人離れするのは仕方のないことだとしても、やはり失ってはならない“本当に大切なもの”がある。
もはや昔ながらの生粋の日本人は絶滅危惧種なのだろうか。日本の心を外国人から教えられるというのもそう陳腐な話じゃないのかもしれない。
さて、`07年から二年間にわたり連載してきた「おとなの能書き」だが表題のように今回をもってひと区切りということに相成った。
ロハスという本来のテーマから脱線を繰り返し、さんざんと好き勝手なことを書かせていただいた。ここでご愛読いただいた読者の皆様に心からお礼を申し上げたい。
またいろいろと我がままを聞いていただいた『ロハスサン』スタッフの皆様、二年間本当にお世話になりました。
〈了〉
プロフィール
イッコー・オオタケ
1960年東京の下町に生まれる。10年に渡り広告プランナーとして会社勤務の後、母親の実家である浅草仲見世の老舗小間物店の七代目店主となり屋号を継ぐ。
目指すところは“由緒ある下町の小言ジジィ”。
最新の記事
- 第二十四回 日本人の心得 ‐最終回‐
- 第二十三回 お茶の水 カルチェ・ラタン
- 第二十二回 花冷え…
- 第二十一回 春の贈りもの
- 第二十回 老いの花
- 第十九回 酒場の品格
- 第十八回 家族の肖像
- 第十七回 こころを病むということ
- 第十六回 月見る月
- 第十五回 ニッポン無責任時代
エッセイ一覧
イッコー・オオタケ
つなぶちようじ
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://www.lohas.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/177
トラックバックされた記事
コメント