LOHAS(ロハス)なライフスタイルを創造する生活情報雑誌






身近なロハス
ロハス流 黄金伝説
目指せ、ゴミゼロ生活。

エコバックやマイ箸で、日常生活でゴミを減らすことはできても、「ゴミを出さないで生活できるのだろうか?」そんな素朴な疑問からスタートした。「なせばなる」と体育会系編集長のひとことで、編集部Aがチャレンジすることに。果たして、その顛末は。

LOHAS編集部 [2009.06.11]


 企画会議で勢いついた編集部の面々は「よし、ゴミゼロ生活即実行!」と、その日の夕食は、コンビニ弁当でも出前でもなく、近所の中華屋に皿とグラスを持参する。 「おばちゃん、この皿におかず。で、こっちのグラスに生ビールちょうだい」
「最近の若い人は感心だね。昔は、パックなんか使わず、みんなこうやって家から皿を持ってきたもんだよ。でも“ナマ”のグラスまでってのは、初めてだけどね(笑)」
 おばちゃんとそんなやり取りをしているうちに、厨房にいるおにいちゃんたちが注文した餃子やなんだと皿に盛り、ラップをかけようとしていた。
「あ、ラップはゴミになるから要らないよ」
ふだんは気にも留めないことが「ゴミを出さない」という意識を持つだけで目に付くのだから、不思議なものだ。

現代の生活で、
ゴミゼロは絶望的。

 翌日の休日、散歩のついでに近所の魚屋を覗いてみたら、型のいいイナダがマルで売っていた。しかも1本500円。よし、今夜はこのイナダの刺身で一杯やろう。半身を刺身に引いて、残りは煮付けか塩焼きに。そうだ、アラ汁もついでに作ろう。と、イナダ三昧の晩餐に想いを巡らせながら、はたと気づいた。

「骨やハラはどうしよう、ゴミになる……」

 サンマやイワシならともかく、イナダのハラの調理方法は知らないし「食べた」という話を聞いたこともない。どうしよう。捌いてもらって食べられる部分だけもらって帰るか。いやいや、それでは、自分のところにゴミ処理場を持たず、近隣市町村に委託処理している自治体と同じではないか。
 ショーケースの向こうの板場では、丸ごと一匹刺身に下ろされたイナダが、ツマや大葉、菊などともにプラ皿に盛られ、ラップでぐるぐる巻きにされている。そしてレジ袋に入れられ、客に渡された。板さんは、次の魚を捌く準備か、まな板の上に残ったアラや内臓、皮をバケツの中にドカドカ入れている。ゴミは、なにもラップやレジ袋だけではないのだ。  なんだか気が滅入ってくる。さすがに刺身そのものはご免だが「ゴミを出さない」という観点にたてば、ツマやパセリは使い回してもいいのではないか、とさえ思えてしまう。
 とにかく、いまの東京でゴミを出さないで生活するのは、正直なところ無理だ。ゴミゼロ宣言は、2日目して断念。レジ袋やマイ箸などでゴミを減らすことはできても「ゴミゼロ」で生活していくことはできない。ところが、後日ヤボ用で田舎に行くと、ジジババは理想的なゴミゼロ生活を実践していたのだった。


 ふふふ、生ビール用にはたっぷり大きめのグラスを持参する。ギンギンに冷やしていざ出陣!(写真左)

カウンターに載って、
料理が盛られるのを待つ皿(写真上)

 うわ、ここで大きな誤算!
店のおばちゃんはしっかり者だった。店のグラスにいったん注ぎ、それを編集部が持参したグラスに移すとは。まぁ、でっかいグラスを持っていけば必然的に大盛りにしてもらえる、と考えるほうがセコいというかタワけてました……。

 「ゴミゼロ晩餐」の開始。まぁ、晩餐というには、いささか寂しい気もするが。


やっぱり人の生活は、
偉大な土とともに。

 野菜くずはもちろん、魚の骨や茶がらまで、おおよそ「生ゴミ」として出されるであろうものは、台所の片隅に置かれたコンポストにどんどん飲みこませていた。4~5日の滞在中にゴミ置き場に出した生ゴミはしじみの貝殻くらい。コンポストで熟成された生ゴミは、2週間前後で極上の堆肥となる。
「ウチの茄子は色が抜けない」と両親が自慢する、野菜の出来の秘密はここにあったのか。
 子どもの頃に祖父に連れられて、朝飯で食べた干物の頭や卵の殻を裏の竹林に埋めに行った。
「こうしておくと、来年美味い筍がでるんじゃ」と言っていた。

 物の書によれば、土中に生ゴミを埋めた場合、その分解過程において炭酸ガスやメタンガスが発生し、それらによって植物の根がダメージを受けるから、生ゴミを直接畑や花壇に埋めるのはタブー、とある。たしかに理屈はそうかもしれないが、何日分かの大量な生ゴミならともかく、ひと家族の1食分を分散して埋めるのであれば、それほど神経質になることもないだろう。夏であれば魚の骨はともかく野菜クズなどは1週間程度でなくなってしまう。自然の摂理とは、よくできたものなのだ。


都会でのゴミ問題。
なんとかしなきゃ、
なんとかなるはずだから。

 江戸研究の第一人者として知られる江戸東京博物館の館長、竹内誠さんによれば、江戸時代は、リサイクル文化の開花した時代でもあるそうだ。
 周知の通り、17世紀の江戸はすでに100万人以上が暮らす、世界有数の大都市であった。にも関わらず、ヨーロッパのようにゴミや糞尿が街溢れることはなかった。それは、 人の流入が起こることを見越し、早い時期から幕府がゴミに対する“おふれ”を出していたことと、竹内さんのいう江戸に暮らす人々の使えるものは徹底的に使う、というリサイクルの観念が徹底していたからに他ならない。
 たとえば着物。庶民が新調することはまずなく、古着を洗い張りし、孔が空けば継ぎはぎをし、ダメになればオムツや雑巾に、そしてぼろぼろになったら、囲炉裏にくめ燃料に。ほつれてこぼれた糸は集めて撚って蝋燭の芯にと、徹底的に使いたおしたそうである。もちろん、燃やした後の灰は土にまいて肥料にした。ロハスサンの創刊号で特集を組んだ「味の決め手は箸にあり」でも触れたように、江戸時代の割り箸は酒樽の廃材や間伐材で賄っていたのだ。
 2本刃の下駄が登場したのも江戸時代。それまでの下駄は、今でいうサンダルタイプのもので、磨り減ったらまんま捨てていた。それではもったいないと、底板が痛まない工夫として、2枚の板をはめ込んだのだ。なんとう智恵、賢さではないか。粋な立ち居振る舞いとして、またマナーの基本として取り上げられる「江戸しぐさ」もそうだが、つくづく、江戸の人々のモノゴトの考え方、行ないというのは、洗練されていたのだと思う。どこで、現代の東京の人々はそれを落としてしまったのだろう。
 いま、待ったなしで降りかかっているゴミ問題を解決するには、「ロハスの輪」にご登場いただいた、マガジンハウス クロワッサンプレミアムの編集長、島田修さんが言っていた「賢く生きる」ということがヒントになるのではないか。ひとつのモノを、ひとつの方向(その使い方や使い道)だけでなく、さまざまな視点を持って創意工夫する。そうすれば、モノの寿命は長くなる。一人ひとりがその意識を持つだけで、都会のゴミ事情は大きく変わるに違いない。

ロハス編集部のある東京都港区では、08年の4月からゴミの出し方が変った。というよりもゴミの解釈が変った」と言ったほうがいいかもしれない。詳細は割愛するが、要は今までの「燃やせるゴミ」を「燃やすゴミ」としたのだ。考え方が変ったのだから、戸惑う人も少なくない。


徳川幕府のゴミ対策

慶安元年/1648年  家光 ゴミを下水溝に流すことを禁止。
またゴミによる街路補修を実施。
明暦元年/1655年  家綱 永代浦をゴミの投棄所に指定。
寛文2年/1662年  家綱 ゴミ収集の請負人制を始める。
翌年から収集料金の徴収を開始。
慶安元年/1648年  家光 深川沖をゴミにより埋め立てる。

ゴミを放置しない対策と同時に、ゴミの再利用を積極的に行なった徳川幕府。その結果、江戸は世界的に類を見ない衛生的な街であったといわれている。17~18世紀のヨーロッパに目を向ければ、パリは糞尿による悪臭が漂い(そのためアルコールを用いた香水が登場した)、ロンドンのテムズ川は汚水、排水によって川の水は真っ黒だったと言われている。その状況は19世紀まで続き、コレラ蔓延という結末を迎えることになる。



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コメント

良い情報をありがとう!

投稿者:たびマロ
2009年09月08日 19:20


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