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芝浦日乗

第三回 宛名にこめる想い

文:津久井耀平 | 2008.01.14

 新年明けましておめでとうございます。みなさん、お正月はいかが過ごされましたか?

 ぼくは例年の通り、田舎でジジババのお守り。まぁ、年にそうはできないですし、生存確認をしっかりしておかないと、ご近所さんに迷惑をかけてしまいますからね。

 で、帰省する途中のひとコマを。

 大晦日の夕方、バックひとつを持って新幹線に乗る。この時間になると、数日前の乗車率150%の騒ぎはウソのようで、空席ばかりが目立っていた。東京を出た時はまだ薄暮であったのに、30分もするともうどっぷり暮れていた。

(写真その1)

 各駅停車に乗り換えると、ぼくの後ろから入ってきたガテン系のおじさんが、人は疎らなのに、ぼくの隣に腰を下ろした。一時すると大きなカバンからお年玉袋が詰まったパックを取り出し、宛名を書き始めた。ちょっと後ろめたさもあったけれど、おじさんの手元を覗き込む。

「昌一」。

「まさかず」、あるいは「しょういち」と読むのだろうか?

 おじさんは、そう書いたかと思うと、おもむろに握りつぶし、新しい袋にもう一度、昌一と書いた。そして、また……。

 結局、持っていたお年玉袋をのすべてを使い「昌一」と宛名を書いただけだった。最後のひとつを書き終えると、ため息をついた。“くん”とか“ちゃん”を付けないところを見ると、昌一は自分の息子だろう。いや、歳の頃は40~50だから孫かもしれない。いずれにしても、たかがお年玉袋の宛名を、ここまで書き直すとはよほどワケありの子? 出稼ぎから戻り1年ぶりの再会なのか? 離婚した息子で正月にしか会えない?、なんて下世話な思いが頭に浮かぶ。

 でも、ふと我に返ると、おじさんと昌一の関係がいかなるものであろうとも、これほど集中して真剣に「宛名」を書いたことが自分にあっただろうか。

 中学生の時、初めて女の子に手紙を書いた。恥ずかしいが、世間で言うラブレターだ。その時は、さすがに中身も含め、宛名を3度くらいは書き直した覚えがある。そして自分では会心の作である「圭子へ」と書き上げた封筒を、彼女の親友であるコに「これ、ケイコに渡してくれ」と差し出すと、彼女はその宛名を見て「ケイコの“ケイ”はにんべんが付くんだよ」とぽつりと言った。言い難そうではあったけれど、こみ上げる笑いをこらえようとするそのコの顔を今でも覚えている。

 話がそれたが、いまのようにパソコンや携帯電話による“メール”が日常化し、文字によって気持ちを伝えることが多くなったが、真性おじさんとしては、同じ文字でもキカイで打ったそれと、手で書いた文字とはどうしても異質――、いや対極にあるとさえ思ってしまうのだ。今も、机の上に積まれた宛名から差出人の名前まで印刷された年賀状を眺めていると、送ってくださった方々にはたいへん失礼だが、1本電話をくださった方がいいとさえ思ってしまう。

 あのおじさんは、昌一くんとどんな正月を過ごしたのだろう。



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