芝浦日乗
第二回 手間隙かけて作られるもの
文:津久井耀平 | 2007.09.28
いま、フレンチが面白い。
ひと昔前まで、巷のレストランはイタリアン一色だった。麺が主食だったり、植物油がベースであったりと、日本食と似ている(と言ったら言い過ぎか)こともあって、一気にブレイクした。でも、いつの頃からか、フォアグラやトリュフ、キャビアになんだと、高級食材がバンバン使われ、コースで1万円は当たり前、2万、3万とグランドメゾン並みのメニューを掲げる店も珍しくなくなった。なんか違うんだよなぁ~。
そんな食材を使わなくたって、イタリアンって充分に美味いんじゃないの? と思っていたところ、トリコロールの逆襲が始まったのだ。日本に在住するフランス人たちも「ニッポンのフレンチって、今や本国よりもいいんじゃない?」と言い始めている。
いままで、みんなの足がフレンチから離れていた理由のひとつに、バターや生クリームをたっぷり使った料理が、日本人にとって重いことがあった。しかし、それはすでに「昔のこと」なのだ。“今”のフレンチは、アラン・デュカス、ジョエル・ロブション、ミッシェル・トロワグロ、ピエール・ガニェールといった、現代を代表するシェフたちが作る、いわゆる“キュイジーヌ・モデルネ”がその潮流となっている。
これは「ヌーベル・キュイジーヌの次ぎの世代」という意味で使われる言葉だが、ひと皿のポーションを小さくし、コースの皿数を増やしていること、素材の味をダイレクトに引き出すことがその特徴。ジョエル・ロブションが、日本の懐石にインスパイアーされ作り始めた料理がきっかけとなった、と言われている。言わば、現代のフランス料理は、日本とっては「逆輸入」なのである。これに引きずられ、古典的なスタイルのフランス料理であっても、バターや生クリームの使用量が大幅に減少。一説によると、5~6皿のフルコースであっても、バターの平均総量は大さじ1杯程度、と言われている。まぁ、その方が身体にもいいしね。
でも、いまみんながこぞってフレンチに向き始めたのは、なにも料理がライトテイストになったから、だけではないと思う。フランンス料理は、例えばソースひとつをとっても、ぼくらの想像を超える時間と労力をかけて作られる。フランスには「ホワイトソースの塩味はシェフの汗」という諺があるくらいだ。
料理に限らず、手間隙をかけて作られたものは、それを手がけた人の温度や気吹が、創作されたモノの向こう側に必ず見え隠れするものだ。
いま、何かを作ること、また作り出す行為そのものが蔑ろにされているように思う。そんな時代だからこそ、時間と労力を惜しまずに作られるフランス料理に、なんというか、憧憬のようなもの感じているのではないだろうか。
プロフィール
津久井耀平
(つくい ようへい)
フリーランスの雑誌編集者。リーズナブルなモノ、コンビニエントなモノがハバをきかせ「真っ当なモノ」が見えにくく、手に入りにくい現代に、ひと言もふた言もいいたいとlohas.co.jpに参画。
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