LOHASのロハスなごろべえ日記
信国が逝って改めて思う事(序)
文:ごろべえ | 2010.02.04
信国が逝って、もうふた月になろうとしている。
そろそろ、
ネットの中も落ち着いてきた頃だろうから、
筆の赴くままに書いて見ようと思う。
僕の知っている信国は、
リクルートの人たちが言うような
カッコいいノブクニじゃない。
ネットには僕たち(敢えて僕たちとしておこう)の
知らないノブクニが作られようとしている。
それはそれでいいと思う。
でも僕たちが知っている信国は別の男だった。
甘ったれで、ワガママで、だけど憎めない、
そんな信国なのだ。
まぁ、誰もが言うように
愛すべき男であったことには間違いない。
出会いはいつだったんだろ?
まだ、インターネットが現れる前の事だ。
キヨズキッチンのキヨさんが
代々木上原にお店を出す前だった。
実は、僕は闘うノブクニを見たことがない。
武勇伝のように、たまに聞いたような
気はするけど、気にした事もない。
この話を書こうと思ったのは、
「相続」という言葉について高野山東京別院で、
お説教を聞いたからだ。
もともと「相続」とは、
お釈迦様が成仏したときに、
弟子たちが集まって自分がお釈迦様から
授けられた話や教えを他の弟子たちに
披露することだったとか。
「英語では「相続」のことを
メモリーサービスって言ったりするんですよ。
だから、「相続」は、増えることはあっても、
減ることはないんです。
今、世間で言う「相続」は、
「相続」ではなく「分配」なんです」と、
高野山のお坊さんは笑いながら、そう教えてくれた。
そうなんだ。
僕は僕の知っている信国について語ることが
メモリーサービスに、「相続」になるんだ。
という訳で何回かに分けて信国の事を書こう。
少し私的な話だけど、
とても意味のあることになるはずだ。
to be continued...
プロフィール
ごろべえ
LOHAS.CO.JPの代表。未来予測、バリの精神世界からオープンソースまで話題は縦横無尽。
最新の記事
エッセイ一覧
郷右近丸彦
ごろべえ
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://www.lohas.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/197
トラックバックされた記事
コメント