地雷原が豊かな大地に復興される日を夢見て ~山梨日立建機 雨宮 清さん~
現在、地球上に1億個以上も放置されていると言われる地雷。そして、地雷原を抱える国々は、アフガニスタン、カンボジア、モザンビークなど、その多くはいまだ情勢が不安定であり、医療体制も確立されていない。ある統計によれば、放置された対人地雷の事故は30分に一件の割合で起きており、その被害者の40%が子どもだと言われている。そして、被害者は満足な手当てが受けられず、命を落とすこが多い。
そんな状況を救済すべく、独自の地雷除去機を開発したのが、山梨日立建機株式会社の社長である雨宮 清さんだ。
雨宮さんが地雷除去活動に取り組むようになったきっかけは、商用で訪れたカンボジアで、地雷原の恐怖を目の当たりにしたときであった。
「悲惨とは、まさにあのこと」と、当時を振り返る。
カンボジアでは、住むところのない貧しい人々が、追いやられるように地雷原周辺で生活している。そんな環境で、まっさきに被害を受けるのが子供たちであった。いつの世も、弱者が犠牲になる。
70年のクーデターにはじまり、90年初頭まで内戦が絶えなかったカンボジア国には、現在でも600万個の対人地雷が放置されているという。「中には、子供の気をひくように、色、形を奇抜にしたものも少なくないんです」
そんな対人地雷の被害に遭ったした子供たちは、足や腕を失い、また、病院が街にしかなく手当てに時間がかかり、また医療体制の不備から、病院に運ばれた後に命を落とすケースが非常に多い。まさしく、状況は「悲惨」なものである。
このまま見て見ぬふりはできない。
エンジニアとしての挑戦が始まった。
山梨の農家で生まれた雨宮さんは、幼いころから母親に「陰日なたのない人になれ。人のために尽くせ。」と言い聞かされて育った。そして、中学を卒業すると同時に、技術を身につけるために東京の建設機械整備会社へ就職する。当時、東京は首都高速建設ラッシュ。雨宮さんは、昼夜を問わず働いた。「仕事、というよりは丁稚奉公。やらされたことは便所掃除や作業着の洗濯、道具の手入れがほとんど。3年間はボルトひとつ回させてもらえなかった。食事にしても寮の先輩がみんな食べちゃうから、ぼくらに回ってくるのは冷えた飯と具のない味噌汁だけで、おかずはほとんど食べたことがなかった。」
そんな修行時代を経て、雨宮さんは地元山梨で独立を果たす。日本が田中角栄の所得倍増論」で盛り上がる1970年のことである。そして、先述した通りカンボジアの現状を見かねた雨宮さんは、95年に「6名の地雷除去プロジェクト」を社内に発足、98年にその1号機を完成させる。
詳細は割愛するが、雨宮さんが考案した地雷除去機は、油圧ショベルのアームの先端にロータリーカッタを回転させ、それで地雷を爆破、除去する。雨宮さんは開発中に爆発音で右耳鼓膜を損傷したが、そんなことには厭わず開発を続けた。その結果、この地雷除去機はカンボジアをはじめ6カ国で56台が稼働するまでにいたったのである(2008年3月に新たに2台が輸出される)。
かつての「立ち入り禁止区域」が
外貨を稼ぐほど実り豊かな土地に。
そして、この地雷除去機が素晴らしいのは、インフラにも活用できる機能をもっていることだ。初期モデルでは、一般的なショベルのアームの先端に取り付けたロータリーカッタで地雷原で潅木を除去しながら対人地雷を爆破処理するスタイルであった。このマシンで耕されたかつての“地雷原”にオレンジを栽培し年間60万ケースを出荷し、150万ドルの外貨を稼ぐ規模にまで成長した農園もある。また、新型対人地雷除去機は、プッシュフレール(分銅型)、前方のアタッチメントで対人地雷を除去し、後部に付いているリッパー(鋤)で土を掘り起こし農地開発できる機械である。
「小さいころから農業の手伝いをよくしてきたので機材の開発のためのアイディアは豊富にあった。特にリッパーは農具の鋤をもとに考えたものだ。それにカンボジアの農地開発は内戦で田畑を奪われた人々の手に戻し、元の豊かで平和な大地に戻したいという心からの思いから行っているものだ。」と雨宮さんは言う。
たとえモノ、カネがなくても
子供の笑顔がある国に。
そしていま、雨宮さんは日本国内の学校を主体に広く世界の地雷に苦しむ人々の様子を伝えるため、また青少年の育成の一助を願い、年間60回を超える講演活動をおこなっている。もちろん、地雷除去というたいへんな仕事を通じての貴重な体験談が大事なテーマだが、雨宮さんが子供たちに伝えていることは、人を思いやる心、家族の大切さ、そして自分の命、他人の命の大切さを訴えている。
「だいたい、塾や習い事などが多すぎて家族の会話が少なくましてや寝る時間もない。こんな言葉がよく子供たちの口をついて出てくる。しかも、子供たちが自発的に通っているケースは少ない。誤解を恐れずに言うならば、親の自己満足なんです。おにぎりをほお張って塾通いしていたら、家庭での会話がなくなるのは当たり前。学校の先生にしても『塾なんか行かずに俺に任せろ』となんで言えないのかのかね?」
「イニシエーションの欠落」と、言われて久しい日本。かつては「ピーターパンシンドローム」などと言われていたが、要は、大人になるための通過儀礼を経ずに社会人となってしまった大人たちが溢れているわけだ。 そんな環境で育てられた子供が、まっすぐに育つわけがない。雨宮さんは、それを憂い“真っ当な大人”として子供たちに語りかける。
温暖化ガス排出枠をロシアから譲渡され、2012年の目標値達成の目処が立ったことも大いに結構ではあるが、子供たちが育つための環境にもっと目を向けたいものである。
(写真1)
山梨日立建機(株)代表取締役の雨宮 清さん。本業の傍ら、地雷除去活動によって得た体験談を子どもたちに語る講演会のため、全国を回る。
(写真2)
ショベルカーを改造した地雷除去機。現在数種類がラインナップされ、アジアを中心に約60台近くもが活躍する。
(写真3)
地域や除去する地雷のタイプによって、さまざまなヘッドを開発、試行錯誤が繰り返された。基本構造は、ローターが回転し、そこに取り付けられたチェーンが地雷を爆破させていく。
(写真3)
爆発した地雷によって飛び散った砕石が、容赦なく操縦部を襲う。もちろん防弾ガラスで覆われているが、この痕跡からも、いかに除去作業が危険なものか、おわかりいただけると思う。
(写真4)
こちらは、地雷を除去しながら地雷原を耕していくマシン。かつて住民たちが近づくことも許されなかった土地が、雨宮さんの活動によって文字通り「実り豊かな土地」として甦る。
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下積みからやった人だけある。私は自分が恥ずかしい。こういう人を生かせない国際貢献って戦場で鉄砲もって参加することが平和のためとは・・・。さて、日立が原発推進産業ってのが気に入らない・・・。
投稿者:お日様大好き
2009年11月24日 15:51
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